プリチャン2期の虹ノ咲さんへ(怪文書)

プリチャン2期、ホント50話分使った劇場版みたいな出来だと思ってます
大体80話台から”あ、ヤバい”ってなってきた記憶があります、やばいです
過去の感想からの焼き直しになりますが、改めて語っていいですか?対戦お願いします

プリチャン2期の前半戦、即ち虹ノ咲だいあと友達作りの話についてですが、まずそこに至るまでの虹ノ咲だいあって、それ以前に描いてきたキラッツ、メルティック、そしてリングマリィのいずれでもない、むしろそれを否定する位置にいる人間でしたよね。というよりも、虹ノ咲だいあの”友達観”はそれらとは真逆のものでした、それを描く為に

  • 真逆の個性でも友達になれる=リングマリィ
  • 似た者同士反発しても友達になれる=えもあん

を丁寧に丁寧に描いていて、これが見事に虹ノ咲の友達観との対比になっていたな…って何度考えても感動します。

この世界ではプリチャンは友達に”なれる”ツールで、事実そういうワードは何度も(現行3期でも)よく出てきます。キラッツ、メルティック、リングマリィ、それぞれが友達になり合うために障害は無くて、たとえ前述のリングマリィ/えもあんのように”衝突”がある仲だとしても、プリチャンを通じて必ず友達に「なれる」ものだという事を描いていたように感じます。

「なれる」という大前提がある以上「なれる」ものに相違ない。キラッツもメルティックもリングマリィもそう。個性がバラバラでも”分かり合える”し、”高め合える”し、”協力し合える”のがこれまでのプリチャンでガッツリ証明してきたのに、ただそれでも虹ノ咲だいあにとってはそうではない!という突然の主張、これまでの友情描写全て、まさか虹ノ咲の為にあったのか!?とびっくりして腰砕けました

虹ノ咲にとってのプリチャンはきっと非常に難解で、勿論プリチャンを通じて分かり合えるという側面は否定せずとも、ただ彼女にとってはそれは確実性のないものだし、恐らくキラッツ、メルティック、リングマリィのみんなに比べると、何倍も友達になる為のハードルの多い子だったと思います。

心の底から「やっぱりみんなと友達になれるプリチャンって良いな!」と言える人物が桃山や白鳥アンジュだとして、一方「だけどそもそも友達になるってどういうことだろう、友達の定義ってなんだろう」と疑問を持ってしまう子もいて、「友達と呼んで貰える為の条件、友達と呼ぶ為の資格、承認欲求や顕示欲。無条件で友達になんてなれる筈が無い。友達になるにはどうしたらいいんだろう?」をずっと考えてしまうのがまさに虹ノ咲だいあだったんでしょうね

最初に”フレンドパスワード”を聴いた時の印象として、佐々木李子さん歌うまっっ!!想像してた出てくる歌声と全然違う!!っていうのも勿論あったのですが、歌詞を聞いて、また桃山達が積み上げてきたものを感じながら「いやいや、”そう”じゃないでしょ…!?」っていう気持ちにもなりました。あーっダメです、泣きそうになってきた 77話ですね、アーッ

フレンドパスワードって、曲も歌声もめちゃくちゃ美しいじゃないですか、でも歌詞だけが痛ましい心を語っていて、まるでなりたい理想と現実の乖離があるように強く感じました。フレンドパスワードは虹ノ咲だいあが持つ課題全てを詰め込んだ最強の歌です、私はフレンドパスワードを聴くとだいぶ限界になります

AppleMusicで「フレンドパスワード」を聴く

でもこの時すぐには、だいあとだいあが一緒に半歩ずつ進んだ一歩、これが後々更にエグみを増して自分の心を蝕んでくることになるとは想像もしていませんでした……。アーッホントに泣く、助けて

追伸 虹ノ咲だいあと黒だいあの百合成分、とてもありがとうな……